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東北関東大震災を想う

 ばたばたと忙しかった1月,2月が終わり,一段落したかとほっとした途端の大災害.もう,11日がたとうとしています.地震,津波で亡くなられた方々には哀悼の意を表したいと思います.また,怪我を負ったり,避難を余儀なくされた方々にはお見舞い申し上げます.

 当日はちょうど患者さんが手術を終えて,ICU に入室したところに揺れが来ました.また地震かとたかをくくっていると,なかなか揺れが止まらず,おそらく今までで一番の揺れになってきました.患者さんや点滴台を抑えながら,収まるのを待ちました.幸い,停電にはならず,機器の損害もありませんでした.うちは固い地盤の上に建っているらしく,揺れは一段階軽く感じる事が多いのですが,今回はかなりの震度と感じられました.
 テレビをつけると,岩手から宮城,福島,茨城,千葉にかけて大規模な地震が起き,大きな津波の被害が出ているのがわかりました.窓から外を見ると,とおくに黒煙が一筋上がっているのが見える他,近隣には大きな被害はなさそうなのがわかりました.あとで煙は製油所の火災である事を知りました.

 これは,大変な事が起きていると感じるとともに,これからもっと大変な事が起きると考えました.火災の鎮火,避難,救助,医療,物資の供給,どれをとってもこれだけの広い地域で行なうのは素人が考えても気が遠くなるほどの困難を伴います.

 病院に異常がなく,近隣に被災者が出ていないことで,とりあえず勤務体制は通常となりました.自宅に電話してもやはり連絡が取れません.不安を抱えながら,病院の売店で口に入れるものを少量仕入れて(お弁当やカップ麺などはすでに消えていました)家路につきました.途中で息子から無事を告げるメールが届きました.
 家に帰ると停電で皆,布団にもぐって暖をとっていました.手回し充電式のラジオがあり,そこから情報を得ていました.停電は夜中に回復.それからはテレビで状況を確認しました.

 今世界で一番有名な原発の町は私のふるさとで,兄弟や親類,同級生が多く住んでいるところです.消息が気になりますが,当然電話は通じません.メールアドレスがわかる人には手当り次第に確認メールを送りました.次第にインターネットで情報が出回るようになり,とくに Twitter は地元のメディアが逐次情報を発してくれるようになった事で,貴重な情報源となりました.また,NHK をはじめとしてテレビ,ラジオがインターネット上でストリーミングサービスを始めた事も被災地では役に立ったのではないでしょうか.とくに NHK は対応が早く,Twitter での情報提供も迅速でしたし,幼児用の番組の配信,電力節減のための報償休止など,どなたが陣頭に立っているのか知りませんが感心しました.民放ラジオのインターネットサービスの radiko も地域限定を解除して,被災地でも聞けるようにしたのはよかったですね.

 今回も電話が役に立たないのは以前の災害と同様でした.SMS/MMS などの携帯メールはまだ少し使えたようですが,会社によってはまったくの所もあったようです.インターネットは伝達手段として有用でしたが,それにしても災害地では停電になってしまえば,WiFi機器をもっていたり,ノートパソコンを持っている人以外は使えないでしょう.それでも,色々な媒体から情報が得られるようになってきている事は間違いありません.今後はそれらの情報が連結されて,どの媒体からも全体のデータを見ることができるようになればいいでしょうし,きっとそうなるでしょう.

 当院は,14日は計画停電があるとのことで,朝の手術はとりあえず止めて,急遽病院各部門を集めて,会議がもたれました.自家発電の性能が未知数 (!) という事がわかって,とりあえず停電時にかかる手術は中止しなければならないとか,電車が止まって職員や患者さんも来れないから外来もだめかなど,侃々諤々議論していたところに,当院の停電は無いという知らせが来ました.やれやれと遅れて予定手術を開始しました.しかし,午後には電車が急に止まってしまうという知らせで,急遽外来を閉じ,帰れる職員は帰る事になってしまいました.次の日からは通常の体制に戻りましたが,ばたばたしました.また,大規模な地震が3日以内に75% (!)の確率で起こるとの事だったので,手術室をはじめ各所でネット上のラジオをモニターしていました.

 数日してやっと親類から連絡が入るようになり,無事を確認できました.また,同級生の消息も Person-Finder などで一部わかるようになってきました.でも,まだ不明のままの人も多くいます.避難所から移動しつつある親類に援助物資の手配をしながら,不安な気持ちで死亡欄にも目を通しています.

 災害地では当院ゆかりの医師も活躍しており,窮地に陥っている病院もあるというニュースに接して,直接助けに行けないのは忸怩たる思いがあります.若手の先生たちが切歯扼腕している様子も見聞きします.うちのように小規模な病院では,例えば外科系は予定手術・緊急手術を止めてしまわないと医師を救援に出すわけにも行きません.組織としては種々の条件を考慮して対応を決めているものと思います.災害地の患者さんの引き受けに手を挙げていますので,そういう形で貢献できれば幸いです.

 がんばれ,福島,がんばれ,東北.

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